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【くっついたら終わり…】悪魔の核物質 デーモン・コアとは

【くっついたら終わり…】悪魔の核物質 デーモン・コアとは

こんにちは✨矢島奈月妃です。

あなたは「悪魔の核」と呼ばれる物質をご存知でしょうか?

その物質は2度の臨界事故を起こし科学者の命を奪いました。

2名の命を奪ったことからその物質は悪魔の核、デーモン・コアと呼ばれるようになったのです。

当時の科学者は今となっては考えられないほど危険な実験を行っていました。

その実験はまるで「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と批判されるほど。

今回はデーモン・コアについてご紹介します。

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デーモン・コア

デーモン・コアとは球体状の未臨界のプルトニウムの塊。

臨界事故が起きるまではルーファスと名づけられていました。

直径は89mmで重さは6.2kgと意外と小さかったりします。

ですが日本が降服していなければこのデーモン・コアを搭載した原爆が8月19日に福岡に投下されていたと言われているのです。

 

デーモン・コアは原爆開発プロジェクトであるマンハッタン計画で初期の原爆の核分裂性コアとして製造されました。

マンハッタン計画では日本に投下された原爆が開発されています。

マンハッタン計画については『原子爆弾ってなに?』の記事をご覧ください。

 

このデーモン・コアは原爆として利用されることなく別の実験に使われることになります。

その実験において2度に渡って悲劇が起こってしまうのです。

デーモン・コアの事故

1回目の臨界事故

日本が降伏したことで原爆として使用する必要がなくなったデーモン・コア。

その後はニューメキシコ州のロスアラモス研究所で実験用に使われます。

1945年8月21日に研究員のハリー・ダリアンはデーモン・コアを使った実験を行います。

実験内容はデーモン・コアの周囲に中性子を反射する特性を持った炭化タングステンのブロックを積み重ねて臨界値を計るというもの。

炭化タングステンとデーモン・コアがある程度離れていれば臨界反応は起こりません。

ですが近づけすぎると核分裂反応が始まり大量の危険な中性子が放出される臨界状態となります。

 

そんな危険な実験であれば防護服を着て複数人で実験を行うことが当たり前ですが、、、

なんとダリアンは軽装のまま夜に一人で実験を行うのです。

ダリアンはデーモン・コアの周りに炭化タングステンを少しずつ積み重ねていきます。

その時ダリアンの手が滑って炭化タングステンを落としてしまいます。

しかもあろうことかデーモン・コアの真上に。

 

デーモン・コアと炭化タングステンは接触。

デーモン・コアは臨界状態になり大量の中性子線が放出されます。

部屋は青白い光で包み込まれます。

大量の中性子線がダリアンの身体を直撃するのです。

この時は線量は5.1シーベルトと推定され即死量とほぼ同等。

 

臨界反応を停止させるためにダリアンは炭化タングステンのブロックを払いのけます。

そしてようやく臨界反応が停止しました。

ダリアンはすぐに病院に向かいますがもう手の施しようがありません。

急性放射線障害のため臨界事故が発生してから25日後に24歳の若さで亡くなります。

このときのダリアンの遺体は全身火傷をしたような状態であったと言われています。

 

当時は放射線の危険性についてまだ未知でした。

そのため研究者も放射線を舐めていたと言わざるを得ません。

大量の放射線を浴びることで人体の設計図であるDNAが破壊されます。

DNAが破壊されると身体は細胞を作ることができなくなるのです。

身体の修復機能が全て失われるということ。

まさに身体の内側から焼かれているような状態になってしまうのです。

 

そんな悲惨な事故が起きてしまったデーモン・コアですが、、、

なんと翌年にはさらなる実験を始めてしまうのです。

もちろんそこでも悲劇は起きました。

2回目の臨界事故

ダリアンの臨界事故から翌年の1946年に物理学者のルイス・スローティンは再びデーモン・コアを使った実験を行います。

スローティンはダリアンの友人であり入院中だったダリアンを何度も訪れていました。

またスローティンは学生時代にボクサーとして活躍しスペイン内戦に参加するなどスリルを求める性格でした。

そんなスリルを求める男が提案した実験内容は非常に危険なものだったのです。

 

デーモン・コアを中心に設置しそれを覆う2つの半球状のベリリウムを用意します。

ベリリウムは炭化タングステンと同様に反射体です。

近づけ過ぎなければ危険な臨界状態にはなりません。

上のベリリウムと下のベリリウムの間にマイナスドライバーを差し込んで上下にグラグラさせる。

ベリリウムをどのくらいデーモン・コアに近づけると臨界状態になるかを確かめるという実験だったのです。

 

この実験内容を聞いた他の研究者は実験を中止するように警告します。

ですがスローティンは耳を貸そうともしません。

この時有名な物理学者であるリチャード・ファインマンは「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と批判しました。

同じく著名なエンリコ・フェルミも「こんなことでは年内に死ぬぞ」と警告したと言います。

ですが1946年5月21日にスローティンはその危険な実験を行うのです。

 

スローティンは上側のベリリウムをマイナスドライバーでグラグラさせて他の研究員が放射能を測定。

その時にスローティンの手が滑りマイナスドライバーが外れてしまいます。

支えを失った上側のベリリウムは下側のベリリウムとぴったりくっつく。

反射体に完全に覆われたことでデーモン・コアは臨界状態に。

臨界状態になったことでその場が青白い光に包まれます。

 

大量の中性子線がスローティンを直撃。

この時の線量は21シーベルトと推定され致死量をはるかに上回っていました。

スローティンは上側のベリリウムを弾き飛ばしたことで臨界反応も停止します。

ですが凄まじい量の放射線を浴びたスローティンは容体が急変。

臨界事故により白血球が死滅したスローティンに助かる道はありませんでした。

臨界事故から9日後にスローティンは死去します。

 

具体的にデーモン・コアでどのような実験を行っていたのかを描いた映画があります。

それが「シャドー・メーカーズ」。

気になる方はぜひ一度ご覧になって下さい。

デーモン・コアの最後

2度に渡って凄惨な事故を起こしたプルトニウム「ルーファス」はその不吉さからデーモン・コアと呼ばれるようになります。

デーモン・コアは1946年の夏に予定していた核実験で使用される予定でした。

ですが事故の影響もありデーモン・コアの使用は中止。

デーモン・コアは溶かされて他のコアを作るための材料となりました。

デーモン・コアのまとめ

今回はデーモン・コアについてご紹介しました。

日本に投下される予定であったデーモン・コアは日本の降伏により投下されることはなくなりました。

ですが実験用となっても多くの被害者を生み出してしまうのです。

正直な話、核は人類にとってあまりにも早すぎたと言わざるを得ません。

東日本大震災の福島原発の処理も未だにどうするべきか決まってはいませんから。

核はその威力もさることながら核から放出される放射線も非常に恐ろしいものです。

核というものについて私たちは今一度考えるべきなのかもしれませんね。

 
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