【中国の黒歴史】文化大革命をわかりやすく解説
- 2021.10.09
- 歴史
こんにちは✨矢島奈月妃です。
あなたは中国で起きた文化大革命をご存知でしょうか?
現代中国の起点となった大革命が文化大革命。
その影響は今もなお残っているのです。
この文化大革命を理解しておかないと今の中国を知ることはできません。
そんな中国を語る上で必須となる文化大革命。
ではなぜ文化大革命は起きその後どうなっていったのか?
今回は文化大革命についてご紹介します。
今回の内容は動画でも解説しています。 他の内容について考察している動画を配信しているのでぜひチャンネル登録して他の動画もご覧ください。 チャンネルのおすすめ動画は『未来Laboおすすめの動画10選』でぜひご確認ください。毛沢東
毛沢東は中華人民共和国を建国した人物。
1949年10月に毛沢東は天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言します。
当時の中国国内は戦争によって荒れ果てていました。
その中国を立て直すために毛沢東は様々な政策を行っていくのです。
まず行ったのが公務員の汚職や資本家の不正を取り締まる三反五反運動。
中華人民共和国は共産主義のため汚職や権力闘争が絶えません。
毛沢東は自らの力を削がれないようにするために反乱分子となる金持ちを次々と粛清。
三反五反運動により亡くなったのは70万人。
共産主義については『共産主義についてわかりやすく解説』の記事をご覧ください。
次に行ったのが中国共産党に対して自由な意見や批判を求める百花斉放・百家争鳴。
何を言っても罪にならないという方針もあり人々はその想いを口にします。
案の定中国共産党に対する批判が続出。
毛沢東はその批判を真摯に受け止めるかと思いきや驚きの行動に出ます。
なんと中国共産党を批判した者を次々に逮捕し始めるのです。
これにより60万人以上が粛清されることになりました。
中国共産党は「この運動は毛沢東主席の共産党に反発する不満分子をあぶり出し刈り取るための名策であった」と強弁したのです。
大躍進政策
数多くの人民を粛清した毛沢東。
彼の悪行はこれだけにとどまらなかったのです。
次に行ったのが大躍進政策。
毛沢東は15年で先進国を追い越すと宣言し農業と鉄の生産に注力します。
農業従事者を集団生活させて農耕をおこなわせる人民公社を設立。
ですが農業の知識を持った人は中国国内にはほとんどいません。
そのためソ連の農学者の「植える位置が深ければ深いほど立派な根が育つ」という謎理論を鵜呑みにしてしまいます。
深く穴を掘ってぎゅうぎゅうに苗を植えたりしました。
苗に日が当たることなく苗にも栄養がいかなくなり全然稲が育たなくなりました。
毛沢東には全く農業の知識がなく生産力が低下した原因がわかりません。
毛沢東は農地に視察に出てスズメが稲の周りを飛んでいるのを目にします。
「そうか…害鳥のスズメが稲を食い荒らしているから稲が育たないんだな…」
そうしてスズメが中国全土から駆除されました。
ところが翌年からさらに不作になります。
実はスズメはほとんど稲を食べることなく害虫を主に食べていたのです。
スズメを駆除したことで害虫が大増殖。
害虫が作物を食べまくって育たなくなっていたのです。
すでに生物学の原理として食物連鎖の概念は提唱されていました。
調和が取れていた自然に介入したことで自然の摂理を破壊してしまうという大失敗。
さらに毛沢東の失策の大躍進はとどまりません。
工業の強化にも着手します。
まずは全国の農地に手作りの溶鉱炉を作らせます。
ですが鉄作りのノウハウを知っている人はいませんでした。
そのため国民総出でなんとなく鉄を作ってみます。
そもそも製鉄はなんとなくで上手くいくほど簡単なものではありません。
ですが人手だけはあるのでどんどん生産されていきます。
鉄くずが。
製品に使えるような本物の鉄はほとんど作ることができませんでした。
でも上には「鉄メッチャできましたよ」と報告。
そうすると上層部は「もっとできるだろう」と目標をどんどん上げていきます。
中国は鉄の原料となる鉄鉱石があまり取れません。
ですが上からのノルマがあるため人民は何とか鉄を生産しないといけない。
そこで家庭にある鉄製品まで溶かし始めます。
鉄製品の多くはクワやカマといった農機具。
ノルマをこなすために必要なものまで犠牲にして国民は働きました。
ただし何の価値もない鉄くずが山のようにできるだけですが、、、
鉄を生産するにも燃料が必要です。
燃料を確保するために山に生えている木を片っ端から伐採。
中国の山はハゲ山ばかりとなってしまいました。
ハゲ山となると自然の治水能力が失われます。
その結果中国国内では土砂崩れや洪水などが発生。
農業にも深刻な被害を及ぼすのです。
この大躍進政策により4600万人が餓死したとされます。
文化大革命
大躍進政策に失敗した毛沢東は失脚。
政権を劉少奇に譲ることに。
劉少奇は地獄と化していた中国を立て直すために経済に関しては資本主義を導入します。
その成果もあって中国国内は徐々に回復。
ですが回復していく中国を見てそれをおもしろく思わない者がいました。
それが毛沢東。
回復していく中国を横目に毛沢東はあることを企てます。
毛沢東は北京大学の壁に張り紙をしました。
「今の政府のやり方は間違っている。資本主義の流れを作る思想や人々を打倒せよ」
それに呼応した毛沢東を崇拝する学生は毛沢東の名言集である「毛主席語録」を掲げて紅衛兵となります。
100万人以上になった紅衛兵が天安門広場に集結。
その場にサプライズゲストとして毛沢東が登場します。
「今の政権のやり方はおかしい。古い考え方は一掃しなさい。反対する人には罰を与えよ」
紅衛兵はその言葉の通りに行動を始めます。
これが文化大革命の始まり。
紅衛兵は圧倒的な権力を与えられて何をしても犯罪となりませんでした。
そんな紅衛兵が中国国内で暴れまわります。
古い文化を象徴するとして芸術品や建造物を破壊。
古い考えを伝えるとして書物は焼き尽くす。
格差を生む考え方をしているとして政府関係者や知識人を弾圧。
紅衛兵は何をしても許される最悪最強の集団となっていきます。
紅衛兵の暴動はさらにエスカレートしていき言いがかりをつけて人を襲うように。
さらに大人も紅衛兵になって日ごろのうっぷんを晴らすために人を襲っていきます。
最終的に紅衛兵が2000万人まで増えていきました。
国のトップであった劉少奇は紅衛兵に捕まり病気で亡くなってしまいます。
中国国内では膨大な数となった紅衛兵が国を破壊しながら暴れまわるという地獄の地獄のような状況に。
さらに紅衛兵はいくつかのグループにわかれてお互いが争うようになります。
さすがに滅茶苦茶となっていたため毛沢東は紅衛兵にこう言います。
「ちょちょちょちょ、お前らやりすぎ!もうやめろ!」
ですが紅衛兵は止まりません。
そこで毛沢東は軍を投入し紅衛兵を鎮圧します。
さらに紅衛兵を地方の農村に送りこの大暴動を弱らせることに成功。
そして毛沢東は再び権力の座に返り咲くも1976年に病死。
10年間も続いた文化大革命も1977年に終わりを迎えるのです。
文化大革命によって数千万人が亡くなったと言われています。
さらに教師を粛清したことで教育は崩壊。
60歳から70歳の中国人というのは若い時に基本的な教育を受けていません。
子どもの頃にまともな教育を受けていない人物が国を運営する。
文化大革命というのは今の中国の問題に直結しているのです。
文化大革命のまとめ
今回は文化大革命についてご紹介しました。
文化大革命が起きたのは今からわずか50年前。
紀元前に起きたのではなく近代の出来事だというのが驚きです。
中国にはその傷跡が今でも残っています。
毛沢東は地球上で最も人をジェノサイドした人物の一人。
そんな人物の意思を色濃く受けているのが今の中国共産党です。
日本とは文化も歴史も価値観も全くの別物だと理解しておかないといけません。
そうしないと日本は隣の中国の影響を思いっきり受けることになりますから。
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