【感動】トルコと日本の絆のものがたり エルトゥールル号遭難事件とトルコ航空救出劇
- 2021.10.15
- 歴史
こんにちは✨矢島奈月妃です。
あなたは親日国と聞くとどこの国を思い浮かべるでしょうか?
世界には親日国が多くあります。
その中でもとりわけ親日と言われているのがトルコです。
日本から遠く離れたトルコがなぜ親日なのか?
その理由を多くの日本人は知らないかもしれません。
ですがトルコの人はかつての恩を今もなお忘れていません。
日本とトルコの絆には感動の実話があるのです。
今回はトルコと日本の絆のものがたりについてご紹介します。
今回の内容は動画でも解説しています。 他の内容について考察している動画を配信しているのでぜひチャンネル登録して他の動画もご覧ください。 チャンネルのおすすめ動画は『未来Laboおすすめの動画10選』でぜひご確認ください。日本人を救出せよ!トルコ航空救出劇
「今から48時間後、イランの上空を飛ぶ全ての航空機を撃墜する」
イラン・イラク戦争の真っただ中の1985年3月17日にフセイン大統領は宣言。
石油ビジネス関連の商社マンを中心に約200名がイランの首都テヘランに住んでいました。
彼らにしてみたら突然告げられた帰国勧告。
その当時は日本とイラン間の航空便は未就航。
残された日本人には帰国の手段がなかったのです。
そこでイラン大使は日本政府に対して緊急の飛行機の手配を要請します。
依頼を受けた日本は自衛隊機の派遣を検討するも法律により飛ばすことが不可能。
さらに日本航空に臨時便を要望するも「乗務員の安全が確保されない状態では出発できない」という理由で出発を拒否。
現地に残された日本の民間人215人の救出は絶望的とも言える状況でした。
そんな絶望的な状況に思わぬ国から救いの手が差し伸べられるのです。
事態を知ったトルコのオザル首相は
「我が国が飛行機を出そう。
私たちは日本人に恩返しをしなければいけないからね。」
ただちにトルコ航空のパイロットの志願者が募られます。
「テヘランで助けを待っている日本人がたくさんいる。
非常に危険なフライトである。
それでも飛んでくれる者は手を挙げてくれ。」
一瞬の静寂の後その場にいた全員が手を挙げ立ち上がったのです。
すぐ様テヘランに向けて2機の特別機が飛び立ちます。
「救援機が到着しました」と日本人向けのアナウンスが空港に流れます。
テヘランに到着した航空機は日本の民間人215人全員を乗せて急いで滑走路を飛び立ったのです。
航空機がテヘランに地を離れたのはタイムリミットまでわずか75分。
日本人は安全なトルコ領空へと無事に退避することができたのです。
もちろんテヘランには多くのトルコ人もいました。
トルコ政府は自国民には陸路を経由して避難させるという決断を下します。
飛行機での避難を期待していたトルコ人は車で脱出することに。
ですがトルコ政府に対して不満を示したトルコ人は誰一人としていませんでした。
なぜトルコが自国民より日本人を優先して救出したのか?
日本政府もメディアも助けられた日本人もその理由がわかりませんでした。
その後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏はこう語っています。
エルトゥールル号の事故に際して日本人がなしてくださった献身的な救助活動を今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生の頃、歴史の教科書で学びました。
トルコでは子どもたちでさえエルトゥールル号の事を知っています。
今の日本人が知らないだけです。
それでテヘランで困っている日本人を助けようとトルコ航空機が飛んだのです。
私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです。
エルトゥールル号遭難事件
お
19世紀末、欧米列強との不平等条約に苦しんでいたトルコ。
日本との平等条約締結と小松宮彰仁親王のトルコ訪問に対する返礼などの目的で600名を超える親善使節団を派遣します。
親善使節団の特使にはエミン・オスマン海軍少将が任命。
使節団の船としてエルトゥールル号が選ばれました。
1889年7月14日にトルコの首都、イスタンブールの港を出港したエルトゥールル号は1890年6月7日に横浜港に到着します。
オスマン海軍少将たち使節団は明治天皇に謁見。
アブドゥルハミト2世皇帝から託されたトルコ最高勲章と贈り物を奉呈し両国の友好の意を天皇に伝えます。
使節団は東京に3か月滞在しいよいよ帰国することになります。
9月は台風の季節で海が荒れることが懸念されるので帰国をもう少し遅らせるよう助言。
ですがオスマン少将は帰国が遅れないようにと予定通り9月15日に横浜港を出港します。
そして未曽有の海難事故に見舞われてしまうのです。
1889年9月16日に和歌山県大島を大型台風が直撃していました。
その頃エルトゥールル号は神戸港を目指して和歌山県大島樫野崎沖を航行。
台風の強風と高波に襲われ航行の自由を失ったエルトゥールル号は岩礁に激突し座礁してしまいます。
さらに船のボイラーへの浸水により爆発が発生し22時半頃に沈没。
オスマン少将を含む600名以上が夜の暗い海に投げ出されます。
海岸にたどり着いた船員は助けを求めるために灯台の明かりを目指します。
たどり着いた船員は全身傷だらけで服はボロボロ。
日本語がわからない上に何を言っても言葉が通じない。
灯台守は国際信号旗を見せ彼らがトルコ人であることと船はトルコ軍艦であることが判明します。
そうこうしていると続々となだれ込んでくる怪我をした船員。
「彼らを助けるためには人手が必要だ。」
灯台守はたどり着いた船員に応急処置を行い近くの大島村の住民に連絡。
知らせを聞いた村の男たちは海岸に走ります。
そこで数多くの船の破片と怪我をした船員を目にします。
ほとんどの船員は体温が低く非常に危険な状態。
「死ぬな!」「生きろ!」「元気を出せ!」
一人でも多く救うために村の男たちは懸命に船員の体を温めます。
必死の救護活動の甲斐もあって次々に船員の意識が戻っていくのです。
この結果587人が犠牲となったものの69人が一命を取り留めます。
大島村は漁で得た魚を売って細々と生活している貧しい村でした。
さらに台風で漁に出られなかったため備蓄もほとんどない状態。
ですが自分の食料ですら船員に与えて献身的に世話をします。
こうして船員は元気を取り戻していくのです。
その後船員は神戸の病院に移され手厚い看護を受けて順調に回復。
翌月の10月11日に回復した船員は日本海軍の軍艦に乗ってトルコへと帰国しました。
この時トルコの新聞では日本の村での救助活動や政府の対応を大々的に報道。
そして多くのトルコ人が日本に好感を抱いたと言われています。
エルトゥールル号遭難事件をきっかけに絆が深まるトルコと日本。
そしてトルコ航空救出劇へと繋がっていきます。
名もなき人の真心が国を動かしたのです。
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今回はトルコと日本の絆のものがたりについてご紹介しました。
トルコの人々は100年も前のことをずっと心に留め続けてくれました。
そして100年越しの恩返しという奇跡へとつながっていくのです。
お互いに困難な状況で見返りを求めることなく助け合った日本とトルコ。
両国には時代も世代も超える心温まるものがたりがあったのです。
私たちも恩を忘れずにずっと語り続けていきたいですね。
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