日本への原爆投下 アメリカが行った謀略
- 2021.08.05
- 歴史
こんにちは✨矢島奈月妃です。
1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に投下された原子爆弾。
第二次世界大戦の終戦のきっかけになった非常に大きな事件です。
戦争というものはあくまで軍同士の戦い。
そこに一般人を巻き込むのは国際法上御法度となります。
ですがやってはいけないとされたことが実際に行われました。
ではなぜ日本に原爆が投下されたのか?
それまでにどういったいきさつがあったのか?
今回は日本への原爆投下について解説します。
日本への原爆投下
1942年6月にアメリカは原爆開発プロジェクトであるマンハッタン計画を開始します。
そして1944年9月18日のケベック会議で日本への原爆投下が決定。
1945年5月7日にドイツは降伏し連合国の敵国は日本だけとなります。
1945年7月16日には原子爆弾の爆発実験であるトリニティ実験が行われるのです。
原子爆弾については『原子爆弾ってなに?』の記事をご覧ください。
7月26日にアメリカは日本への最後通告としてポツダム宣言を発表します。
ポツダム宣言は日本の無条件降伏を迫るものでした。
もちろん戦争継続が困難という見方もあり一部には受託をするという空気もありました。
ですがポツダム宣言を知ってもなお日本政府はソ連を介して講和を行い皇室を維持するという願望があったのです。
ポツダム宣言にはこのようにあります。
第12条
日本人が日本国民を代表する責任ある平和的政府を設立したならば連合国軍は速やかに撤退する
この文章では皇室の維持の確約はできないと判断した日本政府。
軍の要求もあり鈴木貫太郎首相は次の声明を発表します。
共同声明はカイロ会談の焼き直しと思う。
政府としては重大な価値あるものとは認めず『黙殺』し断固戦争完遂に邁進する。
日本政府のポツダム宣言に対する反応としては「断固戦争完遂に邁進する」とあることから拒否という形を取りました。
声明中の黙殺が「ignore(拒否)」と捉えられてしまったなんて言う話はデマです。
日本政府内には東郷茂徳外相など英語が堪能な人物がいましたから。
日本政府としては皇室を維持できないなら1億玉砕も止むなしという判断を下しました。
ただトルーマンは日本がポツダム宣言を拒否することは想定済みでした。
日本が皇室維持をしたいことをOSS(のちのCIA)からの情報で知っていたトルーマン。
だからこそポツダム宣言から日本にとって最も重要な皇室維持条項を7月24日に削っています。
皇室維持の条項さえあれば日本がポツダム宣言を受託することをわかっていながら皇室維持条項を削除したのです。
さらに日本の唯一の希望だったソ連を介しての講和もアメリカは先手を打っていました。
1945年2月にアメリカのルーズベルト
イギリスのチャーチル
ソ連のスターリンはドイツ降伏後の国際秩序を話し合うヤルタ会談を実施。
そこでソ連はドイツ降伏後3ヶ月以内の対日宣戦布告および南樺太と千島列島のソ連帰属といったヤルタ密約を取り付けます。
つまりいくら日本がソ連を通じた和平交渉をしたところでソ連の対日参戦はすでに決定済み。
ソ連を介した和平交渉など絶対に実現しないことをトルーマンは知っていました。
そんな密約など知らずにソ連に対して叶うはずのない甘い期待を抱いていたのが日本政府。
情報戦において完全に敗北していたのです。
さらにトルーマンは原爆投下命令の承認を求めるスティムソンに7月24日には口頭でOKを言い渡しています。
ポツダム宣言が発表されたので7月26日。
日本政府はまんまとトルーマンの手の平で上で踊らされたのです。
その点からも原爆投下というのは戦争を早期終結するためのものではなかったということ。
そんな手を使わずとも戦争を終結させるための手段をアメリカは持っていたのですから。
アメリカが原爆を使いたかった理由
ここまでの話を見ていくとアメリカが原爆を何としてでも使いたかったということがわかります。
原爆は戦争終結のための切り札なんていうのは原爆投下を正当化するための詭弁にしか過ぎません。
ポツダム宣言に皇室維持条項さえ入っていれば日本が降伏を受け入れることが早期にわかっていましたから。
ではなぜアメリカは日本に原爆を使いたかったのか?
大きく分けると3つの理由があります。
原爆の実験
ポツダム宣言の時点で原爆は完成していました。
すでに爆発実験も行い後は実戦投入のみという段階。
日本は虫の息であり原爆を投下してもやり返す体力などないことがわかりきっていました。
マンハッタン計画ではすでに2200億円という巨額を投じていたため何かしらの結果が欲しかったのです。
だからこそ日本人を使って残酷な人体実験を行いました。
8月6日には広島にウラン型原子爆弾のリトルボーイ
8月9日には長崎にプルトニウム型原子爆弾のファットマンを投下。
2つの原子爆弾は威力も性能も製造コストさえも全く異なっています。
実験でなければわざわざ2種類も用意する必要がないのです。
マンハッタン計画を主導していたロスアラモス研究所は原爆投下後に
「我々は2つの原爆実験に成功した」と公式発表しています。
さらにアメリカは戦後数年に渡り広島と長崎の人体実験のデータを取り続けました。
3発目の原爆を福岡の小倉に投下するという話もありました。
その時に使われようとしていたのがデーモン・コアと呼ばれるプルトニウム塊。
デーモン・コアについては『悪魔の核物質 デーモン・コアとは』の記事をご覧ください。
ソ連への威嚇
アメリカは戦後にソ連と争うことをすでに念頭に置いていました。
日本の原爆投下はソ連への威嚇という側面もあったのです。
原爆の威力を見せつければソ連を扱いやすくなると考えていました。
実際のところ終戦後にアメリカとソ連は冷戦という名の核開発競争に突入することになります。
日本という国はソ連の隣の国であったため原爆を見せつけるにはもっとも好都合な場所でもありました。
原爆投下というのは降服を促すことよりも政治利用としての側面が強かったのです。
日本の破壊
日本という国は戦前からずっと狙われ続けてきました。
しかも数千年レベルであり古代イスラエルにまでさかのぼります。
古代イスラエルについては『イスラエルの失われた10支族』の記事をご覧ください。
日本を破壊したい勢力は敵国にも日本国内にもいました。
アメリカが日本への経済制裁をするように誘導したのが近衛文麿。
敗戦の決定打となった真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を山本五十六にそそのかした永野修身。
彼らの周辺について調べると共産主義者やグローバリストだらけという。
真珠湾攻撃については『本当は勝てた大東亜戦争 日本が勝てるシナリオ』の記事をご覧ください。
さらにルーズベルトもトルーマンも日本を毛嫌いしており日本人はただの猿という認識でした。
世界には優秀な人物だけが生きれば良いという優生学という思想を持っていました。
そして世界中の悪意が日本人に牙をむいたのです。
だからこそ奪う必要なんてなかった35万人の命を奪いました。
日本という国を破壊するために。
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今回は日本への原爆投下について解説しました。
近年の日本人は平和ボケしているとはよく言われます。
ですが戦前においても平和ボケしていたのは変わらずスパイの暗躍を見過ごしていました。
大東亜戦争には勝てるシナリオが実際にあったのです。
ですがそのシナリオも派手好き博打好きの大うつけ者の手によって木端微塵に破壊されてしまいます。
敗戦が濃厚になってしまったからこそ原爆投下という最悪の手を引くことになってしまったのです。
日本人は歴史から学ばないといけません。
それが今を生きる私たちができる弔いになるのですから。
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